愛知民報

【10.02.07】河村「改革」どう見る(上) 愛知大学法科大学院教授 小林武氏

 河村たかし名古屋市長の暴走を許さず、くらし・福祉と民主主義を守る市民集会が1月13日、名古屋市内で開かれ、憲法学者の小林武愛知大学法科大学院教授が「河村『改革』手法の特徴をどうつかむか」と題して講演しました。

 今日のスローガンは「暮らし、福祉を守ろう」ということになっておりまして、第1部では、11の団体・個人からそれぞれの分野の貴重な報告がなされ、感動的でした。そして、「民主主義を守ろう」もスローガンになっています。ただ、私は、加えて「見抜こう河村改革の民主主義的手法」、つまり河村「改革」の手法の特徴がどこにあるのかを見抜きたい。「守ろう」とする課題のためにもそれが重要なのではないかと思っております。

民主主義的独裁

 河村「改革」の特徴は、民主主義を用いながら独裁を図る。民主主義的独裁と申しますか、きわめて特徴的なものであると思います。ここをつかまなければならないのではないか。

 民主主義と独裁はずいぶん違った言葉ですし、奇妙だと思われる方もあるかも知れませんが、河村市長のやっていることは、市民の拍手喝采を調達し、獲得して名古屋市の政治の仕組みを変えていく、議会を押さえる方向で変えていく。こういう、たしかに民主主義的な、とくに直接民主主義に依拠したやり方をとっているわけです。――今日、私に与えられた20分で、この点に絞って、問題提起をしてみたいと思います。

実態は首長優越

 憲法や地方自治法を押さえておきますと、地方政治は、議会と首長のいずれも住民が直接選挙する二元代表制です。この2つの関係は、首長が優越しているのが現在多くの自治体の実態ですが、実は、むしろ議会のほうが第一義的な代表機関であります。議会は、首長と違いまして、合議制の機関であります。審議し結論を出していく過程に民意が反映されます。市民の声がフィードバックされ、市民と議会が考え合う循環ができるわけです。首長は独任制、たった一人の機関ですから、議会のほうが民意の反映、民主主義の点でずっと優れているといえます。

 憲法の規定を見ても、議会は議事機関(議決機関のことです)として設置すると決められています。地方自治体の中心的な法は条例でありますけども、これももっぱら議会が制定する仕組みになっています。それにもかかわらず、実態は首長優越であるわけです。

 このことに照らして、河村氏の発言を見てみますとちょっと面白いことがあります。彼は、名古屋でも実態において市長が優越しているという常識的な認識をなぜか覆えして、「議会が王様で、市長はどうにもならん」と盛んに言います。奇妙でありますが、ともかくそのような認識を公にして、だから議会と市長の関係を変えなければならない、という提唱を市民に対してしています。

河村「改革」

 その提唱をまとめておこなったものが、河村市長自身による、昨年11月20日付の『市政改革ナゴヤ基本条例案』です。ここに、彼の考える議会改革の要点がよく映し出されていると思います。

 そのうちで、議員定数半減が一番大きい問題だといえますが、提唱は、それだけではなく、議員報酬半減、政務調査費の廃止、費用弁償の実費化、さらに、党議拘束の撤廃、多選制限(自粛)、市民の意見機会の保障など、多様で多面的な内容になっています。

 とくに留意すべきは、議員の報酬を減らす諸提案が市民から拍手喝采で迎えられていることです。私たちは、議員定数の半減ということをつかまえて反対運動をしようとしているわけですが、その場合も、この全体構造を見ておく必要があります。議会改革は議会自身がやるものであって、市長がイニシアチブをとるというのはもってのほかでありますが、このもってのほかのことが市民に強い浸透力をもって今日進められようとしているのです。

議会の奮起を

 それで、いま何より問われているのは、議会が自らどのような改革案を出すのかであると思います。市長の改革案の内容は包括的で、ピンポイントではありません。だから、議会の出す案も、充実した全般的なものである必要がありますし、また全会派が一致したものでなければならないでしょう。議会が自らどうするのかという提起をしていかなければならない。高い志としっかりした自覚を持った態度で、議会自体が奮起しなければこの状況は打破できないと考えます。