愛知民報

【10.02.14】河村「改革」どう見る(下) 愛知大学法科大学院教授 小林武氏

トップダウン

 河村市長側の採ろうとしている手法が重大です。トップダウンの政治体制をもたらすために民主主義的手法を用いています。これが重大なことで、運動を進める上でここを見落としてしまうと、私たちの運動は足元を掬われてしまう。誰に掬われるのか。ほかならぬ市民によってであります。

 市長側の手立ては、次のようです。議会改革の市長案を2月議会に提出する。議会は自らの改革案を検討していますから、これを否決するだろう。そうしたら市長は、市長案と議会案のどちらが良いかを市民に諮ろうというのです。住民投票で決めてもらおうと。それには住民投票条例をつくらなければなりませんから、住民投票条例制定の直接請求にとりかかります。50分の1でできますから、名古屋市の有権者では3万6000人。河村サポーターズの出番であります。容易に集めるだろうと思われています。しかし、市議会はこの条例案を否決することになりましょう。

 そこで、いよいよ議会に対する解散請求の署名集めに入る。議会の解散は有権者の3分の1(40万以上については6分の1)が必要で、36万5000人。すごい数ですね。でも、河村市長側は、市長選の51万票に自信をもっており、また、議会に対して市民が一般的に信頼していないことを見抜いています。

 こうした市長側の手法は、独裁的な体制をつくるために、直接民主主義の制度を1つ1つ、レンガを積んでいくような堅実さでもって用いる、こういうプロセスを辿ろうとしているようです。しかし、これは、民主主義の逆用です。

 おたがい、中学校の社会科で習ったことですが、憲法・地方自治法は、住民の直接請求や住民投票など、直接民主主義的ないくつかの制度をとりいれています。その目的は、住民自治の実現にあるのですが、市長側は逆手をとって、これを強権的な体制をつくるために使おうとしているわけです。

 なお、この際、住民投票のもっている危険な一面にも着目しておく必要があります。歴史に照らせば、独裁者の登場に使われていることがあり(そのような使われ方をする国民投票・住民投票は「プレビシット」と呼ばれます)、今回のものは、その一例だといえます。

ポピュリズム

 もう1つは「ポピュリズム」、大衆迎合です。河村市長は大衆の心をつかむ手だてに長けています。たとえば、市民税一律減税で財源が問題になると、市職員の人件費削減、定員削減を直ちに持ち出してくるわけです。市民はこれに拍手喝采している、と見ておいた方がよいのではないか。出してくるのは、いずれにしても目に見える政策であり、また、「日本初」を売りにしています。

 こういうやり方は底が浅くて、新聞も「市長の答弁は支離滅裂」と書くわけですけれども、同時に「市長はメディアの人気者」という報道をしている。今では、市長が市民に取り入ろうとしているというより、むしろ、市民が市長に接近したがっている現実があるのではないでしょうか。きわめて危険です。

 私たちが市民を獲得できるかどうかが課題です。とくに、議会また個々の議員がこれまで市民の信頼を得てきたかどうかを省みて、今こそ市民に応える姿勢を持たなければならないと思います。

勝利の展望

 展望を考えるについて、国政との関係を見ておきますと、小沢一郎さんの国会改革が進行しています。官僚答弁の禁止、法制局長官の除外、政府・与党の一体化が具体化していて、その先には単純小選挙区制、憲法改正が見えています。河村「議会改革」は、こういう流れと響きあっているのではないでしょうか。

 私たちは、今こそ、議会制度の危機を認識して、河村市長側による住民動員の陣立てに対抗しなければなりません。考えに考え抜いてお互いの知恵を集め、しっかりした方針を出さないと、市長への権力集中の統治機構が――「市民の声」で――つくられてしまいます。議会には、真剣に本格的な自己改革の方針を定めて市民に明らかにすることが迫られています。それは、全会派で合意した、議会全体による改革案でなければなりません。市民が、暮らし・福祉を守るには議会が必要なのだと認識するようになったとき、そのときに勝利の展望が見えてくると信じます。

【終わり】