愛知民報

【18.02.04】平和を希求する俳句や詩 『愛知共産党の礎中島平三遺稿集』

  このほど、『愛知共産党の礎 中島平三遺稿集』(きむら書房)が出版されました。中島さんは、戦前の1932年に日本共産党に入党した製陶労働者で、戦後の同党の再建者の一人です。1968年死去。同書には中島さんが遺した俳句や詩が収録されています。
    ◇
 終戦直後、名古屋市西区の中島宅に「日本共産党愛知地方委員会」が設けられ、日本共産党が県民の前に姿を現しました。
 中島さんの任務は、党機関紙「赤旗」の支局長。名古屋駅前で毎日、「赤旗」を立売りしたそうです。
 愛知民報社が発行した『愛知・日本共産党物語』(1993年刊)はこう書いています。
 「『アカハタ』には、申し込み先のゴム印が押してある。再建後ただちに地方委員会事務所となった名古屋市西区本塚町二五番地、日本陶器裏の路地にある中島平三宅には、ひっきりなしに人がたずねてきた。特攻隊帰りの青年たちがそろって話を聞きにきたこともあった」
     ◇
 中島さんとともに戦後の党再建にあたった五十君章さんは、中島さんの文学作品に「愛知民主文学の源流」を見ています。
 中島さんの俳句や詩には平和を希求するものが多くあります。1986年8月17日付の「愛知民報」は、中島作の俳句「鳴るものは皆打ちならせ原爆碑」を掲載しています。
 死の4年前の詩「私は若人の言葉を信ずる」の一節を紹介します。
 私は若人の言葉を信ずる/その言葉は低いが/その誠実 いかに生きるべきか/という事に対する努力と決意に/私は五十の白髪頭を/下げざるをえない
 私は若人の言葉を信じる/その言葉が低かろうが高かろうが/その言葉がたとえ/いつわりであろうと/私は若人の言葉を信じる(1964年6月13日)
 (『愛知共産党の礎 中島平三遺稿集』1000円。ほっとブックス新栄で販売中)