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戦争の傷痕 身近に 名古屋で戦跡巡り

 

延命地蔵尊の説明をする大島さん(右から3人目)=15日、名古屋市北区

 名古屋市内には、戦後77年たっても今なお戦争の傷痕が多数残っています。戦前、軍需工場が多数あり、米軍の空襲は63回におよび、50万人以上が被害を受けました。

 終戦の日(15日)に戦跡めぐりが催されました。案内は戦跡ウオッチツアーなごやの会世話人の大島良満さん(87)です。小学生の時に空襲で家を失い、友だちを亡くしました。戦跡めぐりは大島さんの呼びかけで1990年から行われ、今年は33回目。15人が参加しました。

 最初に訪れた北区のJR大曽根駅南口近くには殉職した旧国鉄職員らを追悼する碑があります。1945年4月7日の空襲で、避難していた防空壕(ごう)に爆弾が直撃し、30人全員が死亡。うち12人が女性職員でした。大島さんは「男は徴兵され戦地に行き代わりに女性が多く働いていた」と説明しました。

 北区の霊光院には上飯田地域の空襲で3000人以上が死傷したことを弔う延命地蔵尊がありました。大島さんは「戦病死した兵士の碑や地蔵尊は多くあるが、庶民を対象にした慰霊碑は珍しい」と語りました。

 大島さんは「戦争体験した者として、草の根から平和を守る運動をするのは責務。健康に気をつけて来年以降も続けたい」と話します。

(8月21日 しんぶん赤旗)