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希望つなぐ たけだ議員の活動 ④

若者労働実態調査を基に雇用対策の充実を県に申し入れる、たけださん(正面左から3人目)=2009年3月25日、長野県庁

 たけだ良介参院議員が貧困や格差をなくす政治をめざすようになったのは信州大学に進学してからです。

 生家は長野県中野市でリンゴや桃をつくる兼業の果樹農家。桃の収穫は1日早いと未熟、1日遅れると熟れすぎて落ちてしまう一分一秒を争う仕事。誕生日が桃の収穫時期と重なっているため、「しばしば忘れられることも」。自然と働く両親の背中を見て育ちました。

 兄、姉の影響で小学校4年から高校3年まで剣道部。絵を描くことが好きで、市のコンクールに3回も入選。数学の対象図形の美しさや論理的思考も好きでした。

 高校の担任だった先生に憧れて数学の教員をめざし、1999年4月に信州大学教育学部へ進学しました。

 キャンパスに立てかけられた「戦争はダメ」「30人学級を実現しよう」の看板を見て、「まともなことを言っている人たちがいるな」と思っていたところ、新入生歓迎宣伝の対話で日本民主青年同盟がつくったことが分かり、点と点が結ばれ、民青に加盟しました。

■ 迷い吹っ切り

 民青の学びの中で、反戦・平和の歴史をもち、企業献金をもらわず「綱領」に基づいて活動する日本共産党を知ります。戦争反対の歴史は信頼できると感じました。でも、政党に対し「表裏のあるもの」「国民の声を聞かないもの」との思いもあり、入党するにはどこか迷いも…。

 しかし、「事実をありのままに捉え科学を大切にする政党」「多数者の団結によって社会発展を目指そう」などの話を聞くうち、「思っていた政党と違う」「この党を自分がさらに発展させればいいんだ」と、迷いを吹っ切り大学1年で入党します。

 大学で学びながら「周辺事態法」に反対する運動組織を民青の仲間と結成。学生自治会の副委員長も務め、学費引き下げや老朽化した設備の改修を大学に求めます。学生同士が思いを交流する「教育ゼミ」を発足させるなど、要求に基づく運動の先頭に立ちました。

 同時に貧困に苦しむ学生の姿も目の当たりに。学費を下げたくて活動に参加していた仲間がアルバイトを二つも掛け持ちし、だんだん授業に出られなくなって退学。後輩は大学院も含めて6年間で1000万円近くも奨学金を借りていました。

■ 大本を変える

 教育実習で教壇に立つ中で、学力的に大変な子どもの背景に格差や貧困の問題があると気付きます。「青年や子どもたちを苦しめる大本の政治を変えなければいけない」と、大学卒業後は民青の専従者として社会変革の道に進みます。

 2004年から民青長野県委員長に。抱いていたのは民青という組織の枠を超え地域全体を暮らしやすくしたいという「大志」。要求を前に進める要となる仲間づくりとともに、広く市民に問題をアピールする多彩な行動を展開しました。

 派遣切りが問題になると「非正規雇用労働者なくせデモ」を実施。不安定雇用や違法な働かせ方に苦しむ若者の問題ではハローワーク前で実態調査。「青年が36時間労働を強いられている」などの声を県知事に届けました。県議会での共産党の追及とあいまって、06年12月に知事が規制強化を約束。「みんなの声を集めれば政治は動く」と確信した瞬間でした。今では県が独自調査するまでになっています。

(次回は28日付の予定)

(1月26日 しんぶん赤旗)