愛知民報

【09.03.01】太田よしろうさんを語る「庶民一揆」 日本民主主義文学会 増田勝さん

 革新の名古屋市長予定候補者として太田よしろうさんが名乗りを挙げた。もう黙ってはいられない、庶民の生活が根幹から壊されようとしている、そんな逼迫(ひっぱく)した思いからの立候補だったのだろう。

 庶民一揆の先頭にたってくれたのだと思い、私の胸は熱くなり躍った。よし、彼ならいける、本山革新市政の再現ができる、とも思った。

 太田さんの趣味は、スキーと映画を観て語ることとなっているが、実はもうひとつの趣味があった。趣味というより、本格的に取り組みたいもの、それが文学だった。

 太田さんは、愛知大学夜間部の私の後輩で、文学研究会でいっしょに活動した一員でもあった。

 私は大学卒業後、佐藤貴美子さんたちと日本民主主義文学同盟名古屋支部(現在は文学会と改称)を立ちあげたが、しばらくして太田さんも参加し、小説を書きはじめた。

 太田さんの本領は庶民感覚にある。太田さんの本職は米屋で、注文の米を届けるときは普段着のまま勝手口から届けている。庶民感覚はそうしたところから身についたものだろう。

 建前ではなく、本音のまんま名古屋弁で語りかけてくる。「なあ、おみゃあさん」と。
 こうした日常会話から生活の実態と人としての感性や情緒を敏感に察知するのだ。それは人間の姿を本質においてリアルに捉えたいという文学的発想があるからだ。

 そうした彼の持ち味は残念ながら文学を留保させ、生活に直接関わった運動にそそがれていく。それが「民商」だった。

 そこで培ってきた大所高所からの視点も加えて「庶民あっての名古屋市だがや」と説く。彼の言葉は素直に胸に響いてくる。

 昨年末から顕著になった理不尽きわまりない「派遣切り」や子を産み育てる環境を壊し、老後を「姥捨て」に導くような今の社会を変え、住民が主人公で、人として尊重される社会をめざす「庶民一揆」を起こしたい。そこに太田さんの思いが込められている。

(日本民主主義文学会会員・中部ペンクラブ会員)