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核兵器廃絶へ向けて 母の言葉胸に国連へ

愛知 沢田昭二さん

 沢田昭二さん(88)は、愛知県原水協理事長、原水爆禁止日本協議会の代表理事、非核の政府を求める会代表世話人など、被爆者と物理学者の両面から核兵器廃絶運動を続けています。

 広島で被爆したのは中学2年生の時。爆心地から1・4㌔㍍の自宅で家の下敷きになりはい出しました。梁(はり)で体を挟まれた母親を助けようとしていると火事が始まり、「お前は生き残って立派な人間になりなさい」「早く逃げなさい」と母親が命じました。火事嵐が起きた時「お母さんごめんなさい」と言って火の中を逃げました。

 広島大学の学生の時、ビキニ事件が起きて物理学が人類を滅亡させる水爆を作ったと原水爆禁止の学生運動を始めました。名古屋大学を定年退職後、原爆症認定訴訟で放射性降下物による内部被爆の影響を研究結果に基づいて証言し、被爆者勝訴に導きました。

 沢田さんは1日、熱田神宮前でヒバクシャ国際署名を呼びかけました。「核兵器禁止条約はあと16カ国が批准すれば発効しますが、日本政府は、米国の『核の傘』に依存して条約に反対です。広島、長崎、ビキニの体験者はみんな怒っています。ニューヨークの世界大会に参加して、ヒバクシャ国際署名を国連に届け、核兵器廃絶を訴えたいと思います」。

(1月10日 しんぶん赤旗)