愛知民報

【17.03.05】名古屋市政黒書? 逆流だった「河村革命」

  4月9日告示・同23日投票の名古屋市長選挙に出馬を表明した河村たかし市長。政治家としての軌跡と持論を見てみました。

渡り鳥

 河村たかし氏は、春日一幸・民社党委員長秘書を経て1993年の衆院選に日本新党から立候補して当選。
 その後、新進党、自由党、民主党と歩き、「政界渡り鳥」の異名があります。
 衆院議員時代、「名古屋から総理を狙う男」と自己宣伝しますが、これを果たせず、「国会でできなかったことをまず名古屋で実現。そして日本全国に発信する」と主張し、2009年4月の名古屋市長選に民主党推薦で出馬。
 自民から民主への政権交代の流れの中で、自民支持の市長候補を破り、名古屋市長に就任しました。

第3極

 まもなく民主党政権は公約違反など政権運営に行き詰まり、「自民も民主もダメ」の風潮が広がると、河村氏は民主党を離党。 
 10年4月、地域政党「減税日本」を立ち上げ、自ら代表に就きます。 
 当時、大阪では橋下徹府知事が地域政党「大阪維新の会」代表となり、既成政党攻撃を展開。愛知では、自民党衆院議員の大村秀章氏が自民党を離れ、地域政党「日本一愛知の会」を結成しました。
 河村氏は、彼らと連携し、自民・民主に対抗する「第3極」ぶりを演出しました。

減税行革

 河村ビジョンの“1丁目1番地”は「庶民減税」。しかし、河村氏が実施した「市民税減税」の実態は上厚下薄の金持ち減税でした。
 河村減税のねらいは、福祉の「構造改革」です。減税による税収減少を理由に、社会保障や公共サービスの民間任せを強行。浮いた財源を大型事業に投入する仕掛けです。
 河村氏は、「減税すると否応なしに構造改革がはじまる」「福祉は地域委員会でやってもらう。市役所はお城づくりをやる」と言い放ちました。

議会解体

 河村氏は、議員の特権化・家業化を批判して「議員のボランティア」化、「真の自治・自立の社会」を主張します。
 その姿は、市町村議会をなくして、小・中学校区単位にボランティア議会と住民自治組織(地域委員会)をつくり、「助け合いの民営化」をすすめるもの。
 河村流の「自治」論は、議会と行政機関の責任と役割を崩し、住民に負担増を押しつけることになると批判されています。

9条改憲

 憲法について河村氏は、戦力不保持・交戦権否認の9条第2項の削除、自衛隊の存在明記を主張しています。
 日本軍慰安婦の強制性や南京大虐殺を否定。首相の靖国神社参拝に賛同しています。