愛知民報

【17.02.05】強制隔離の歴史を学ぶ 若者らハンセン病療養所を訪問

 昨年は、ハンセン病患者を強制隔離した「らい予防法」が廃止されて20年、国の強制隔離政策を憲法違反と断罪した熊本地裁判決から15年の節目の年でした。1月22日、ハンセン病療養所入所者の支援運動に取り組んでいる若者らが、東海北陸地方唯一の国立駿河療養所(静岡県御殿場市)を訪問。同入所者自治会長の小鹿美佐雄さん(75・愛知県あま市出身)の案内で園内を見学しました。(本紙・錦見友徳)
 

山道を登り

 記者がハンセン病療養所を訪問するのは今回が初めて。名古屋駅から新幹線とJR御殿場線を乗り継ぎ、最寄りの岩波駅に降り立ちました。療養所までは約3・2??。記者を乗せた車は山道を登り、敷地面積約37万平方?(東京ドーム7・7個分)の国立駿河療養所に到着しました。

貨物列車で

 一行を迎えた小鹿さんは、ハンセン病発病時の隔離・強制収容の体験を語りました。
「小学2年の時、やけどのあとが痛くないので、ハンセン病と診断されました。名古屋から駿河療養所に運ばれる時は『伝染病患者輸送中』と書かれた貨物列車に乗りました」

らい予防法

 ハンセン病は感染力の弱い病気です。特効薬プロミンの開発で治る病気になっています。しかし、国は「らい予防法」(1953年制定)により、1996年の同法廃止まで患者の強制隔離絶滅政策を続けました。

断種・中絶も

 一行は小鹿さんの案内で、療養所内の納骨堂に案内されました。納骨堂には、療養所内で亡くなった元患者の遺骨が納められています。国の隔離政策は社会全体に「恐ろしい病気だ」という偏見を広げ、入所者のお骨は故郷のお墓に入ることができませんでした。
 納骨堂の横には、子孫を残させないという国の絶滅政策の犠牲になり、人工妊娠中絶させられた胎児の慰霊碑がありました。
 亡くなった入所者を病理解剖する石製の台がありました。火葬場も作られましたが、入所者のたたかいによって一度も使わせず、火葬は公共の火葬場で行ないました。
 綿打ち工場跡も残されています。入所者の布団の打ち直しは外注できず、患者が自らおこなうしかありませんでした。

最後の1人まで

 現在入所者は61人。平均年齢84歳です。小鹿さんは「元患者はいずれ全員いなくなる。最後の一人まで安心できる医療・介護の体制の充実を」と訴えます。 現在、同療養所内の病院では、一般外来診療がおこなわれ、地域に開かれています。