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空襲語り 街の戦跡巡り30年余「地道な運動 これからも」

旧国鉄職員の「慰霊碑」の説明をする大島さん(左)=15日、名古屋市北区

 名古屋市内で今年も終戦の日(8月15日)に戦跡めぐりが行われました。1990年から毎年行われ、今年で32回目。案内は戦跡ウオッチツアーなごやの会世話人の大島良満さん(86)です。大島さんは小学生の時に空襲で家を失い、友だちを亡くしました。 

 今年は8人が参加しました。6カ所を訪れる予定でしたが、豪雨のため北区のJR大曽根駅南口近くにある「旧国鉄大曾根駅・殉職者慰霊碑」のみを訪れ、あとは懇談会になりました。

 同慰霊碑は1945年4月7日の空襲で、避難していた防空壕(ごう)に爆弾が直撃し、30人全員が死亡。うち12人が女性職員でした。大島さんは「男は徴兵され戦地に行き代わりに女性が多く働いていた」と説明しました。

 懇談会では、北区の男性は「上飯田付近の空襲被害は大きく多くの人が亡くなりました。今回は行けなくて残念ですが自宅近くの霊光院には戦病死した兵士と空襲で亡くなった庶民の慰霊碑が並んであります。兵士の慰霊碑は各地にありますが庶民の慰霊碑は珍しい」。南区の男性(71)は「今回のツアーは名古屋北部だが名古屋南部にも戦跡は多い。南区笠寺公園には旧日本軍の高射砲砲座、熱田区の堀川堤防に熱田空襲の弾痕が残っている。ゼロ戦をつくっていて甚大な被害を受けた愛知時計電機工場本社正門前には慰霊地蔵尊がある。名古屋南部地域の戦跡巡りもやりたい」と話しました。

 大島さんは「地道に草の根から平和を守る運動をするのは戦争を体験した者の責務。健康に気をつけて来年以降も続けたい。参加できない人のためにパンフ『空から戦争がやってきた―りょうまん君が見た名古屋空襲』を作った」と語りました。パンフの問い合わせは052(872)6918革新・愛知の会まで。

(8月20日 しんぶん赤旗)