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議席復活で県議会に新風

 愛知県議会に12年ぶりの日本共産党県議団が復活して3年。2人の県議団が県政に新しい風を吹き込みました。県民の声を議会に届け、暮らしの願いを次つぎ実現しています。

請願に賛成し起立する(前列左から)わしの、しもおくの両県議=3月26日、愛知県議会

■ 県民の請願13→77件に

 共産党が12年間空白だった県議会は、大型開発最優先・暮らしに冷たいゆがんだ「オール与党」議会。県民の声は「門前払い」で議論すらされない議会になっていました。

 2015年春。そんな議会に乗り込んでいった、わしの恵子県議(70、西区選出)と、しもおく奈歩県議(30、豊橋市選出)。102議席中たった2人の議員団ですが、県民の声が届く議会へと大きく動かしてきました。

 その一つが全国で唯一残されていた請願署名への押印義務の廃止です。愛知県議会あての請願署名は、住所、氏名のほかに押印が義務付けられ、押印のないものは無効にされていました。そのため請願者が提出した署名の7割が除外されたケースも…。

 党県議団は「憲法で保障された請願権を広く保障するため押印は廃止を」と議長に申し入れ、住民と一緒になって運動。16年9月議会で全会一致で廃止が決まりました。

 県議団には「ありがとう」と喜びの手紙が届きました。保育施策の拡充などを求め毎年請願を提出してきた「愛知保育団体連絡協議会」の石原正章事務局次長は、「街頭などで署名を呼びかけると、押印までは難しく、廃止になって本当によかった」と言います。党議席の復活が「県民の声が届かない議会に風穴をあけた。本来の民主主義に近づけた」と語ります。

 党議席が空白の間、多くの請願が紹介議員を得られず陳情扱いになっていました。県民の声が議会で議論される機会を奪われてきたのです。

全ての子どもにゆきとどいた教育を求める請願要請に応じる(左から)しもおく、わしの両県議=17年12月5日、愛知県庁

■ 県政転換を迫る

 党議員が議会に戻ったことで、請願数が一気に増えました。空白だった14年までの4年間の請願件数はたった13件。それが15年以降は3年間で77件へと飛躍しました。

 今では議会で請願者が口頭陳情する光景も当たり前になりました。毎議会の最終日には、本会議場の一番前の席で、請願に賛成して起立するふたりの姿が。傍聴者から「頼もしい」の声がかかりました。

 党県議団の復活は、大企業優遇・大型開発優先の大村秀章県政に厳しいチェックの目をいれました。不要で採算の見込みもない中部国際空港の2本目滑走路やリニア関連事業、国際展示場建設とカジノ誘致などに熱中する県政をタブーなく鋭く追及。豊富な予算の使い道を転換し、全国最低クラスの教育や福祉予算を拡充するよう求めてきました。

 県営名古屋空港と航空自衛隊小牧基地の一体化、隣接する三菱重工小牧南工場のステルス戦闘機F整備拠点化の支援など「海外で戦争する国」へ加担する県政の転換も迫ってきました。

 それまでの「オール与党」議会は、議論もせずに知事の提案になんでも賛成でした。ところが党県議団が毎議会、予算への反対討論に立つため、他党の議員も賛成討論に立つようになりました。議論が活発化し、マスコミ関係者から「議会らしくなった」との声がかかりました。

■ 多くの願い実現

 ゆがんだ議会のなかでたった2人の議員団ですが、県民の切実な声を議会で取り上げ多くの願いを実現してきました。

 わしの県議は、老朽化した県営住宅を調査。実態と住民の声を議会につきつけ修繕費の大幅アップを引き出しました。重度の難聴の子どもに限定されていた補聴器購入助成は、中軽度への子どもたちにも拡充。お母さんたちから喜びの声が寄せられました。

 「初めての質問は緊張で足が震えた」という議会最年少のしもおく県議は、議会のなかで若者の声を代弁。ブラック企業に勤めた経験や若者の声を集めて質問し、働くルールのリーフレット増刷や労働相談窓口を知らせるポスターのコンビニ掲示などを実現しました。

 党県議団が提案した最低賃金の引き上げを国に求める意見書は全会一致で採択されました。

■ 党議員との連携

 共産党の国会議員、地方議員とも連携し、大きな力を発揮しています。

 17年の夏に豊橋市で発生した竜巻被害の問題では、党豊橋市議団が現地調査し、被害件数が少ないために国の支援を受けられず、県には支援制度がないことが分かりました。

 地元のしもおく県議が県議会で他県の支援制度も示して「1世帯からでも支援する制度を」と求めました。県当局から「検討します」の答弁を引き出し、1世帯から支援を受けられる被災者支援制度の予算化を実現しました。

 マンモス化する特別支援学校の問題では、エアコンがなく冬はマフラー、夏は保冷剤をつけて生徒が授業を受けている実態をわしの県議が調査。切実な声を突きつけて繰り返し質問しました。本村伸子衆院議員も国会で取り上げ、当時の文部科学大臣も一緒に現地を訪問しました。他党県議も議会で質問し大村知事が「スピードをあげて行いたい」と答弁。予算化が実現し1000の普通教室へのエアコン設置に100年かかるところ、3年で実現することになったのです。

 保護者から、「気温の変化が苦手な子どもたちも、おかげさまで生き生きと安定した学校生活を送ることができます」と感謝の言葉が寄せられました。

 12年ぶりの共産党県議団として、県民とともに県政を前進させてきたふたり。一方、「オール与党議会」のなか県政の大本からの転換は容易ではありません。「光のあたらないところにもっと光をあて、多くの県民、若者の願いを届けるため党の議席を増やさなければ」と痛感しています。

 19年の県議選では、両県議とも2期目に挑戦します。2倍、3倍、4倍に仲間を増やし再び県議会へとダッシュしています。

(4月1日 しんぶん赤旗)