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1.税金の巨大なムダづかい中部国際空港
2.中部国際空港問題の経過
3.空港見直し運動の経過と成果
4.空港中止の運動を旺盛に
5.空港問題資料集

中部国際空港問題の経過―中部財界が推進する空港建設

 問題の多い中部国際空港を、国や県、中部財界は、「愛知2010計画」の重要な柱として位置づけ、「ニューハート中部(環伊勢湾総合開発構想)」(中部経済連合会)の中軸事業として建設を強行し、すでに空港島及び前島部分の護岸工事が終了したのにつづき、本格的な埋め立て工事が始まりました。この空港建設をすすめてきた経過をみてみましょう。
中部新空港の計画が最初に構想としてもちあがったのは、1969年に中部経済連合会が伊勢湾総合開発構想の一環として打ち出した「国際貨物空港構想」でした。しかし、具体的な建設計画が動き出す直接の契機は、82年に中部経済連合会が打ち出した「21世紀ビジョン」によってその提言がなされてからです。
これは、当時の中部財界や愛知県が中部圏の“生き残り”を模索するなかで、愛知県を「産業技術首都」として方向づけ、さまざまなゼネコン型開発の中核事業として中部新空港の建設を位置づけたことによるものです。
これ以来、85年1月に建設期成同盟会や建設促進議員連盟などの政治的な推進組識が相次いで結成されるなかで、同年11月、3県1市と中部財界による財団法人「中部空港調査会」が設立され、具体的な候補地選定のための調査が開始されることになりました。
そして、最終的には調査会の一連の報告を受けるかたちで、89年3月に行われた3県1市の首長懇談会で「伊勢湾東部の海上」を候補地とすることで地元構想が一本化。これによって国への建設促進の働きかけをいっそう強めることとなりました。
この流れのなかで愛知県は、「愛知県21世紀計画」の中で、ゼネコン型「3大プロジェクト」の中核事業として中部新空港を位置づけて推進することになりました。
この一方、国は、91年に閣議決定された「第6次空港整備五箇年計画」の中で、中部新空港を「調査実施空港」として位置づけ、92年度から国の関与のもとに正式に調査がすすめられることになりました。

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 95年には国や関連自治体、地元経済団体、調査会で構成される中部国際空港推進調整会議が発足。空港計画案、アクセス方策案、環境影響予測案、地域整備構想案、事業推進方策案からなるいわゆる「5点セット」を同時並行的にとりまとめ、地域合意の前提となる関係機関レベルの調整をすすめることになりました。
そして、96年に閣議決定された「第7次空港整備五箇年計画」で、国は、「国際ハブ空港(多くの路線が集中する中心的空港)として『定期航空路線』の一元化を前提に…事業を図る」と、事実上、着工にゴーサインを出すに至りました。
97年3月末に調整会議は「5点セット」の内容を公表しました。しかし肝心の事業主体が誰になるのか、負担割合はどうなるのかなどは不明確とされ、この計画は結局、地元にばく大な負担をかぶせるものであることが浮き彫りになりました。
98年には25億7200万円の着工予算が計上され、総事業費7680億円となる事業スキームも確定。同じ年には、中部国際空港の設置および管理に関する法律が制定され、中部国際空港株式会社が設立されました。
しかし、当初予定されていた知多郡南知多町の土砂採取予定地でオオタカが発見され、愛知県は同町からの土砂採取を凍結し、事実上、断念しました。町は県の圧力のもとで、事前の土地売却の同意をとることまでしており、土砂採取断念は町民の中に、深刻な矛盾を生み出しました。
また、一方的な計画推進により、漁業補償問題は難航を極めました。空港建設によってノリ養殖の被害を受ける野間漁協や三重県漁連は、漁業振興策を強く求め、妥結を拒みましたが、県や国からの度重なる圧力のもとで、2000年3月、6月と妥結しました。これを受けて、愛知県と企業庁は公有水面埋め立てを申請し、国は同年6月の総選挙のさなかに埋め立てを許可、その直後の8月から護岸工事が着手されました。環境庁(当時)は、埋め立てにあたって、工事途中における環境影響等の検討結果の公表や前島の採算性の検討を求める「意見」を述べていました。
2005年3月開港をめざすために、埋め立て工事期間の短縮が求められていました。南知多町での土砂採取の断念によって、県内最大の土砂採取予定地となった幡豆郡幡豆町では、「豊かな自然を守れ」という住民の取り組みが広がり、その結果、2001年1月、空港会社は同町でも土砂の買取を断念し、県もこれを認めました。
新空港建設により、事実上廃港となる名古屋空港の「軍事基地」化に周辺首長が反対し、埋め立て工事による漁業への直接被害に漁民も怒っています。しかし、空港会社や県企業庁は、空港建設ありきの姿勢でしゃにむに工事を進め、2001年9月からは本格的な埋め立てをすすめていますが、県民との矛盾はいっそう深まっています。

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