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戦争の痛み忘れない 小中学生・高齢者らが名古屋の戦跡めぐり

動物の供養碑の説明をする大島さん(中央)=15日、名古屋市中区

 名古屋市内には、今なお戦争の傷痕が多数残っています。戦前、軍需工場が多数あり、米軍の空襲は63回におよび、50万人以上が被害を受けました。今年も終戦の日(8月15日)に名古屋市内で戦跡めぐりが行われました。

 案内は戦跡ウオッチツアーなごやの会世話人の大島良満さん(84)です。小学生の時に空襲で家を失い、友だちを亡くしました。戦跡めぐりは大島さんの呼びかけで1990年から毎年行われ、30回目。今回は小中学生の兄弟や76歳の高齢者ら12人が参加しました。

■ つり鐘の鈍い音

 最初に訪れた北区のJR大曽根駅南には、殉職した旧国鉄職員らを追悼する碑がありました。1945年4月7日の空襲で、避難していた防空壕(ごう)に爆弾が直撃し、30人全員が死亡。うち12人が女性職員でした。大島さんは「男は徴兵され戦地に行き代わりに女性が多く働いていた」と説明。次に訪れた霊光院(北区)には上飯田地域の空襲で3000人以上が死傷したことを弔う延命地蔵尊がありました。大島さんは「戦死・殉職した軍人の碑や地蔵尊は多くあるが、一般市民を対象にした地蔵尊は全国でも珍しい」と語りました。

 円明寺(東区)では、鐘楼につり下がっている石製のつり鐘を見ました。武器を製造するための金属類回収令(1941年施行)により強制的に供出させられたつり鐘の代用として造られました。戦後、先代住職が「戦争の痛みを忘れてはならない」と石の鐘をつるし続け、今にいたっています。小学生らが石の鐘を突くと、反響音のない「ボン」という鈍い音がしました。

■ 馬・犬・鳩を供養

 名古屋城(中区)の石垣横には、戦争中に徴発された馬や犬、鳩などを供養する碑があります。旧日本陸軍第3師団司令部があり、馬や犬は輸送などに、鳩は通信に使われました。ほとんどの馬や犬は戦地から帰って来ませんでした。

 初めて参加した守山区の三浦勤さん(71)は「父は兵士として中国・南京に従軍した。虐殺の事実を知り精神を病み日本に強制送還された。戦争は人間の体も心も蝕む。二度と戦争をしてはならない」。北区の男性(68)は「身近なところに戦跡が多くありビックリした。多くの人が平和を願い訪ねてほしい。動物の供養碑は草むらの奥の目立たない場所にあった。市の広報などで市民に知らせてほしい」と話しました。

 大島さんは「戦跡めぐりなど地道に草の根から平和を守る運動をするのは戦争を体験した者の責務。健康が許す限り続けたい」と語りました。

(8月23日 しんぶん赤旗)