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戦争の痛み忘れない 名古屋で戦跡めぐり

 「散歩や通勤途上に戦争の傷跡があり驚いた」―。今年も終戦記念日(8月15日)に名古屋市内で戦跡めぐりが行われ、参加者は「日本は平和憲法を守り二度と戦争をしてはならない」と誓いあいました。

 案内は大島良満さん(82)。小学生の時に空襲で家を失い、友だちを亡くしました。1990年から戦跡めぐりを始め、今年で28回目。今回は名古屋北部地域の9カ所を訪れました。小学6年生から83歳の男性まで20人が参加。日本共産党の藤井ひろき市議も同行しました。

 戦前の名古屋市一帯は軍需工場が多数あり、63回にわたるアメリカ軍による激しい空襲に見舞われ、50万人以上が被害を受けました。

 最初に訪れたのはJR大曽根駅南口(東区)にある殉職した旧国鉄職員を追悼する「殉職者慰霊碑」。「男は徴兵されたため、殉職者に女性が多かった」との説明を受け、黙とうした女性(66)は「戦争では銃後を守る女性が多く犠牲になった。戦争は嫌です」と話しました。

 霊光院(北区)には「延命地蔵尊」がありました。45年3日未明、米軍の空襲から苦れようとした子どもや女性ら200人が現在の名鉄上飯田駅付近の爆撃で一瞬にして亡くなりました。大島さんは「戦死、殉職などの碑や地蔵は全国に多くあるが、一般市民の碑は珍しい」と語りました。参加者は延命地蔵尊前に献花をしました。

 円明寺(東区)では、鐘楼につり下がっている石製のつり鐘を見ました。金属類回収令により強制的に供出させられたつり鐘の代用として造られ、先代住職が「戦争の痛みを忘れてはならない」とつるし続けています。小学生が石の鐘をつくと、反響音のない「ボン」という鈍い音に驚いていました。

 最年長の西岡久男さん(83)は「終戦後、学童疎開先から帰ったら、熱田空襲で自宅周辺が焼け野原になっていた。二度と戦争してはいけないと子ども心に思った。戦争の傷跡を多くの人、特に若い人に見てもらいたい」。男子小学生(12)は「祖父ちゃんに誘われてきた。戦争のない平和な世の中になってほしい」と語りました。

 大島さんは「憲法9条改憲の動きがある今だからこそ、草の根からの平和を守る運動が必要。健康に気をつけて30回目まではやりたい」。藤井議員は「地元住民の善意に頼るのではなく、市に案内板設置など戦跡を市民に知らせるよう働きかけたい」と話しました。

(8月18日 しんぶん赤旗)