すやま初美と語る日本共産党 vol.1 五島良子×すやま初美

「色んなことがあっても、共産党に頑張ってほしいという人たちをもっとつくっていかなきゃいけない」と語るすやま初美参院愛知選挙区予定候補。

2019年夏の参院選に再びチャレンジする彼女が、日本共産党のことを皆さんに丸ごと知ってもらうため、ゲストとともに日本共産党をタブーなく語ります。

 

第1回目のゲストは、シンガーソングライターの五島良子さんをお招きしました。

 

 

2人の出会い

 

すやま 今回は無理なお願いにもかかわらずありがとうございます。

 

五島 いいえ、楽しみにしてきました。

 

すやま この間は、一緒に映画行きましたよね。私この映画は五島さんと見たいなと思って、さそっちゃって。観たのは「カメジロー」なんですけどね。

 

五島 そう、ファンシーな映画じゃないんですよね。

 

すやま 米軍が最も恐れた男、その名は……

 

二人 カメジロー。

 

五島 真ん中よりちょっとのところから、すやまさんはね、泣いてましたよ。

 

すやま 早い(笑)

 

五島 でも泣いちゃうよね。オール沖縄の始まりとか、原点を観て知ってしまうと。

 

すやま どれだけ沖縄の人たちが長い歴史の中で苦しめられてきたのか、その矛盾を抱えながらしなやかにたたかってきたのかっていうところが不屈ですよね、まさに。

 

五島 あきらめないっていうのがね、わかりました。

 

すやま 私も「自分もあきらめたらいかん」と思いました。

 

五島 すやまさんとは時折そうやって会ったりお茶をしたり、そういう機会があって嬉しいんですけど、そもそも会ったのは……って思い出してたら、2015年ですよ、7月。

 

すやま 私も覚えてます。もうすごい日でしたよね。衆議院で安保法制が通過した日、強行採決した日なんですよ。もう頭にきて頭にきて、黙ってられなくて。どこかに行かなきゃって。じっとしてられない日でしたよね。たしか市民グループの人たちが呼びかけた街宣で、ツイッターで歌手の方が来るって見たんです。すごい人が来るんだなぁ……と思ったら街宣車の上でアカペラで歌ってたんで、「この人か!」と思って。

 

五島 私もね、その日に歌うとは思わず。怒りをぶちまけに行くつもりで行ったんですけど、「五島さん歌ってください」って言われたんで、ついミニー・リパートンの「Lovin’you」を街宣車の上から歌ったんです。でも、その日にすやまさんと初めてお会いして。すごくね、緊張してたの。初街宣参加だったんで、どんな人がいるのかなとか、どんな雰囲気なのかなとか、なんにもわからずに身ひとつで行ったので。でね、すごい緊張してた時に、すやまさんが白い帽子被って、白いパンツルックで、おしゃれな人がいて、近づいて行ったら、やさしく声をかけてくれたんですよね。「今日しゃべるんですか?」って。「は、はい……!」みたいな(笑) そしたら、「緊張しますよね」って言ってくれて。そのあと私がしゃべり終わってしばらくしたら、すやまさんも話してるわ! と思って。同じように話す人だったんだと思って。それなのに、こっちに気をつかってくれてやさしいなぁ……っていうのが第一印象。

 

すやま あの時、街宣に初めて参加する人が多かったんですよ。ママさんとか。だから嬉しくて。政党だけじゃなくて、そういう人たちが来てくれることが。本当に普通の人たちが「黙ってられない!」って、そのことがすごく嬉しかった。

 

 

共産党で働くきっかけ

 

五島 それ以降も、安倍政権に任せといたらもう世の中メチャクチャになっちゃうと思って、なるべくデモとか街宣とか出るようになったんですけど、必ずすやまさんっていらっしゃって、「あ! いた! すやまさ~ん!」みたいな、「やった~!」って感じだったんですけど、でも元々はデザイナーの仕事をしていらしたんでしょ? 前にスケッチ画みたいなのを見せてもらった時に、すごく上手いなと思って。すやまさんはデザインの仕事が今でもきっと好きだし、絵を描くこともきっと好きなんだろうけど、そういった好きなものを置いてでも、政治の世界に入ってきた……なんていうのかな、なぜそう思ったのか気になってるんです。

 

すやま 私も共産党で働く、政党で働くこと自体は意外でした。共産党に入って活動はしてたんですけど、じゃあ共産党で仕事するっていうところまではなかなか決意できなかったんです。きっかけは「3.11」で、あの津波と大地震と原発事故があった時に、一度考えなおしたんですよね、自分の人生というものを。多くの人の命が一瞬にして奪われていくっていう時に、自分の人生どうなのか一度問い直したんです。デザインの仕事をこのまま続けて行っていいのかって。

 

五島 現地にも行かれたんですよね。

 

すやま はい。現地に行って仮設住宅で声を聞かせてもらって。「仕事を津波で流されて農業ができない、続けられない」「この年齢でどう生きていけばいいのかわからない」という声を聞いたり、「明日生きてるか確認しに来てほしい」と言われたり。自分の力では何ともしがたいところにもっと政治が寄り添って行かなきゃいけないんじゃないかって、その時に感じて。被災地へ色んな人の声を聞きに行った時に、「お風呂が冷たいので追い焚きをつけよう」ということで、行政にそういう声を届けて実現したりもしました。

 

五島 それは皆さんが一戸一戸訪問して、仮設に住んでる人から声を聞いた中から出てきた要望?

 

すやま その中でも特に多かった声が出てくるんです。皆の声を集めると必要なことが見えてくるし、それを行政に届けるということは被災地でも当然あるけど、自分の住んでる町にも色々困ってることってありますよね。そういう、声にならないような声を集めて、行政に働きかけて動かしていくっていうことを仕事にしていこうじゃないかと思ったきっかけが、3.11のボランティアだったんですよね。

 

 

総選挙について

 

すやま いやー、総選挙……。

 

五島 終わりましたー。

 

すやま 選挙中は本当に  応援頂いてありがとうございました。

 

五島 何をおっしゃいますか。

 

すやま 五島さんには志位委員長が栄に来た時にゲストとして来て頂いて。スピーチして頂きましたよね。本当にあれは我々感動しまして。

 

五島 そうなんですか?

 

すやま そうなんですよ。

 

五島 なんかご近所に住む共産党の党員の方からも「ありがとう」ってメールを頂いて、話してよかったってすごい思いました。小選挙区で共産党はたくさん候補者を下げたじゃないですか。それがなければ街宣車ガンガン走らせて、絶対に党は勢いを響かせることができたけれども、見返りは民主主義っていうところで踏ん張ってくれたっていうのは本当に感動しました。もちろんそんな頑張りをしてくれたんだから、比例は共産党だよねっていう思いがあったんです。

 

すやま そういうことを市民の方が言ってくださって、特に選挙の中盤から後半にかけて「比例は共産党」っていう声が市民の皆さんから出てきた時は私も泣きました。でも、私たち議席を後退させてしまって。本当に残念な結果になったんですけれども、今回の選挙の結果見られてどうですか?

 

五島 私も比例は共産党っていうのは推してたし、ぜひのびてほしいって思ってたんです。だから結果を見た時は悔しかったですよ。すごい悔しくて、後で赤旗にも載ってしまったんですけど、お風呂で急に静かになったら涙が出て来ちゃった。悲しかったんですけど、でもやはり共産党が踏ん張ってくれたからこそ、野党一党に躍り出た立憲民主党ができたわけですから、そのことについてはいいことだったと思っています。

 

すやま そうですね。もし希望の党が野党第一党になってたら、本当に恐ろしいって私は思うんですよ。だって国会の中が改憲大連合ですよ。それこそ、野党の筆頭が希望の党で、与党の筆頭が自民で、国会の運営や質問時間も全部決めちゃってたとしたら……。立憲民主党が野党第一党になって、ひとまず国会の中に核をつくったっていうところはよかったと思います。

 

五島 共産党が、自分達の党の勢いを置いてでもっていう姿勢を出してくれたっていうことで、信頼感というのはより深まったと確信してます。だからここからまた、党のもっと面白いところを皆に知ってもらえたらいいと思います。

 

すやま まだまだ知られてませんので、面白いところが。

 

五島 そうなんですよ。ここからまた次に向けて頑張ってください。

 

すやま 頑張ります。

 

 

95年の歴史

 

五島 最近知ったことなんですけど、共産党の歴史ってなんと95年ですよ。びっくりしちゃった。

 

すやま 日本で一番古い政党なんですよ。老舗なんです。

 

五島 老舗の政党だったんですね。95年って、すごくないですか?

 

すやま 戦争の時代に、政党は全部「大政翼賛会」といって、戦争を進めて行く一つの団体になっちゃったんです。その時にも、私たち共産党はそこには与しない、戦争には反対だと貫いたから95年続いてる。他の政党は一旦そこで大政翼賛会になっちゃって、その後「自分達はまちがえました、ごめんなさい」と、だから政党名を変えて再スタートとなったわけなんです。

 

五島 ほーほーほー。

 

すやま だけど私たちはずっと戦争反対し続けたから、別にそこで名前変えて再スタートする必要がなかったわけです。だから95年続いてるっていうのもあるんですけど。

 

五島 そうだったんだ。それは強いですね。

 

すやま 戦争の時代に「反対」って言うだけで逮捕されたりとか、拷問されたり。「蟹工船」を書いた作家の小林多喜二さんとかも特高に捕まって拷問されたんです。人の苦しみを生み出すおおもとに貧困、そして戦争がある。それ(貧困や戦争)を否定するってことなんです。共産党の立党の精神は「国民の苦難軽減」なんですけど、そこにやっぱり戦争は相容れないんですよね。だから、そういう時代でも戦争反対を貫いた。

 

五島 主権は国民にありと。

 

すやま その時はまだ天皇が絶対で主権者は国民じゃなかった。その時にも私たちは国民こそが主権者であるべきだっていうことを言い続けてたんですよ。今は憲法の中にそれがある。今は当たり前を私達は戦前からずっとやってきたんです。

 

五島 それはブレないね。他にこんな党ないですね。

 

すやま でも確かに知られてないんですよね。

 

五島 と思うのね。もったいないな~と思う。

 

二人 知ってほしい!

 

 

続きを読む