政策

あいちトリエンナーレ問題Q&A

今、大きな問題になっている、あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」の中止問題について、「表現の自由」侵害と歴史修正主義の2つの問題について、Q&Aの形式で、日本共産党の立場を説明します。

 

①「表現の自由」侵害批判

Q1 問題になっている「表現の自由」とは、そもそもどんな権利ですか?

A 憲法第21条は「一切の表現の自由は、これを保障する」と定め、2項で検閲の禁止を明記しています。集会、結社はもちろん、デモのようないっさいの表現形態、言論、出版、テレビなどすべての表現手段が保障されています。

「表現の自由」が保障されてはじめて、「内心の自由」である思想・良心・信仰・学問の自由は現実的な意味をもちます。「表現の自由」は民主主義の根本であり、「表現の自由」が脅かされるときは、国民の人権が脅かされるときです。

 

Q2 昭和天皇の写真が燃える映像作品に対し、河村市長は「天皇への侮辱。許容限度を完全に逸脱している」(8/8付コメント)と述べ、これに「天皇へのヘイト行為」(8/7付産経新聞デジタル版)と同調する意見がありますが、どう考えますか?

A 天皇を題材にした作品を、ヘイトスピーチ(憎悪表弁)などの犯罪に等しい行為と同一視するのは、まったくの筋違いです。

近年問題となっているヘイトスピーチとは、韓国・朝鮮出身者やその家族が多く住む地域で罵詈雑言(ばりぞうごん)を叫び、不安と恐怖心をあおるなど、特定の人種や民族などに対して行われる常軌を逸した攻撃のことをいいます。差別をあおるこうした行為は、「ヘイトクライム」(人種的憎悪にもとづく犯罪)そのものであり、「表現の自由」とはまったく相いれません。当然、規制されるべきものです。

一方、天皇に対する評価は人によってさまざまであり、「表現の自由」を保障する現行憲法下では、天皇に対してどんな態度・表現をするかは、国民の自由にゆだねられています。そして、天皇に対する評価がどうあれ、公的機関は多様な表現の機会を保障する責任があります。

それにもかかわらず、天皇に対する表現に異議を唱え、作品の展示を認めないのは、憲法で禁じた事実上の検閲にほかならず、「表現の自由」に対する明らかな侵害です。

河村市長は、今回の作品について「国民の象徴的存在である昭和天皇に対しはなはだ礼を失する遺憾なもの」(8/8市長コメント)と述べています。想起されるのは、「天皇は神聖にして侵すべからず」とうたい、「神」の子孫としての天皇が日本を支配すると宣言した明治憲法です。

背景にあるのは、天皇を神聖化し、日本の「国のあり方」を「国民主権の国」から「天皇の国」にゆがめようとするくわだてです。「国民主権=国民が主人公」という原理、原則を日本にしっかりと根づかせるうえでも、「表現の自由」を守りぬくことがいま求められています。

 

Q3 河村市長は、税金を使って公共施設で行うものには、口が出せると主張しています。菅官房長官も記者会見で、補助金交付の差し止めを示唆する発言をしていますが、どう考えるべき?

A 芸術・文化は、人々に生きる力を与え、心豊かなくらしに欠かすことができないものです。芸術・文化を創造・享受することは、憲法に保障された国民の権利です。芸術は自由であってこそ発展します。民主主義社会において芸術・文化の「表現の自由」は広く認められなくてはなりません。

税金が投入されているとの理由で公権力が文化・芸術作品を問題視し、内容によっては支援をしない、撤去させる、というのは、憲法21条2項が禁じる検閲行為に等しいものです。

2001年に改正された「文化芸術基本法」の前文には、「我が国の文化芸術の振興を図るためには,文化芸術の礎たる表現の自由の重要性を深く認識し,文化芸術活動を行う者の自主性を尊重する」と明記されています。

芸術・文化への公的助成は専門家の判断にゆだね、国や自治体は“金は出しても口は出さない”という原則を堅持すべきです。

 

Q4 河村市長は、「全体の奉仕者としての公務員の義務だ」「検閲ではない」と今回の行為の正当性を主張します。どう考えるべきですか?

A 憲法99条は、公務員が憲法を尊重し、擁護する義務を負うとしています。河村市長による今回の検閲行為は、明らかに、公務員の義務違反に値します。

そもそも今回の展示は、美術館等で展示を拒否されたり、展示後に撤去された作品を、その経緯とともに展示し、「(表現の)自由をめぐる議論の契機を作りたい」(同企画展実行委員会あいさつ文)として企画されたもので、個別の作品への賛意を示したものではありません。

それにもかかわらず、市長が「公共事業として相応しくない作品」などと決めつけ、展示中止に追い込んだのは、憲法違反の「検閲」以外の何物でもありません。

市長は、「自費で、個別に私営の個人ギャラリー等で作品を公表することは自由であり可能だから憲法が禁止する『検閲』とは全く関係ない」(8/5市長コメント)などと主張します。しかし、前回の「表現の不自由展」はもともと、外部からの圧力で中止になった民間ギャラリーの写真展(2012年)がきっかけで企画されたものです。民間まかせでは、国民の多様な表現の機会を保障することはできません。

諸外国では、「表現の自由」を守るという配慮から、財政的な責任は国がもちつつ、専門家が中心となった独立した機関が国民の芸術・文化活動に助成を行っています。国や自治体には、文化・芸術を自由に創造し、また鑑賞するという国民の基本的権利を保障する責務があります。

憲法に検閲の禁止が明記されているのは、戦前の日本で政府が芸術・文化や学問・研究の内容を検閲したことが、多様な価値観を抑圧して民主主義を窒息させ、国民を戦争に動員したことへの反省にたったものです。今回の事態に芸術団体をはじめ次々と抗議の声が上がっています。二度と再び日本を「検閲国家」にしないために、力を合わせましょう。

 

②歴史修正主義批判

Q5 河村市長は、「アジア各地の女性を強制的に連れて行ったというのは事実と違う」「国もそういうことはなかったと(言っている)」(8/5記者会見)と主張します。事実は?

A 河村市長の主張こそ事実に反します。政府は河野談話(1993年「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」)で、韓国人「慰安婦」が、「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と認め、謝罪しています。また、この河野談話は、安倍内閣ですら、「見直すことは考えていない」との立場を繰り返し表明しており、この点でも事実に反しています。

日本政府と軍は敗戦を迎える中で、みずからの戦争責任を回避するため重要文書を焼却し証拠隠滅をはかったとされていますが、強制的に「慰安婦」にされたことを示す外国側の公文書は存在しています。旧オランダ領東インド・スマラン(現インドネシア)でオランダ人女性を強制的に連行して「慰安婦」とした「スマラン事件」や、極東国際軍事裁判所(東京裁判)の判決に明記されている中国南部の桂林での強制連行の事例などにかかわる公文書です。

さらに、元「慰安婦」らが日本政府に謝罪と賠償を求めた裁判では、8つの判決で、被害者35人全員について、強制的に「慰安婦」にされた事実が認定されている事実も、河村市長は直視すべきです。これらの判決では、こうした強制が国家的犯罪として「極めて反人道的かつ醜悪な行為」「ナチスの蛮行にも準ずべき重大な人権侵害」と断罪されています。

河村市長がどんなに事実をねじ曲げようとしても、加害国である日本の司法によって認定された事実の重みを決して否定することはできません。

 

Q6 河村市長は、「韓国人女性の強制連行は『吉田証言』で広がったが、嘘だった。『朝日』『赤旗』も訂正記事を書いた」(8/5記者会見)と主張しています。『吉田証言』とは?

A 「吉田証言」とは、「山口県労務報国会」の動員部長を務めたとする故吉田清治氏が、軍の命令で、韓国・済州島で暴力的に若い女性を強制連行し、「慰安婦」としたとする「証言」です。1982年に「朝日」が初めて報じ、90年代初めには他の全国紙とともに「しんぶん赤旗」も記事を掲載しました。その後、「吉田証言」の信ぴょう性に疑義があるとの見方が専門家の間で強まり、一方で元「慰安婦」の実名での告発や政府関係資料の公開などによって、「慰安婦」問題の実態が次々に明らかになるなかで、「吉田証言」は問題とならない状況になりました(「朝日」「しんぶん赤旗」は2014年にそれぞれ関連する記事を取り消しました)。

河村市長は、この「吉田証言」が虚偽だったことをもって、「慰安婦」の事実そのものを否定する根拠にしているようです。しかし、政府が河野談話を作成するうえで、旧日本軍の関与と強制性を認めた根拠は、「吉田証言」ではなく(2014年政府答弁書)、元「慰安婦」たちの「被害者でなければ語りえない」証言に基づくものだったことが明らかになっており、その主張は完全に破綻しています。

さらに問題なのは、「慰安婦」問題を「強制連行」の有無に矮小(わいしょう)化することで、その全体像と本質を覆い隠すねらいがあるということです。女性たちがどんな形で来たにせよ、ひとたび日本軍「慰安所」に入れば性奴隷状態におかれたという事実は、多数の被害者の証言とともに、旧日本軍の公文書などに照らしても動かすことができない事実です。この事実こそ、「軍性奴隷制」として世界からきびしく批判されている、日本軍「慰安婦」制度の最大の問題です。

河村市長は、旧日本軍による南京大虐殺(1937年)についても、史実を否定する主張を繰り返し行い、姉妹友好都市を結ぶ南京市と名古屋市との交流がストップしたままになっています(南京大虐殺は日本政府も2006年の答弁で認めています)。

河村市長の主張の根本にあるのは、過去の侵略戦争と植民地支配への反省を欠き、それを正当化する歴史修正主義の立場です。こうした態度は北東アジアの平和をつくるうえでもきわめて有害であり、政治家としての資質が厳しく問われます。

 

Q7 河村市長は、昭和天皇の写真を扱った作品について、『戦後の復興に果たした昭和天皇の偉業に対して畏敬の念を抱く日本国民も少なくない』(8/8市長コメント)と主張します。昭和天皇をどう評価すべきですか?

A 現行の日本国憲法と異なり、戦前の大日本帝国憲法のもとでは、軍隊への指揮と命令、宣戦・講和・条約締結の権限はすべて天皇がにぎり、天皇の固有の権限=「天皇の大権」とされた戦争と軍事の問題には、だれも口出しできませんでした。しかも、「満州事変」から中国への全面侵略、太平洋戦争、敗戦という全過程の現場にすべて立ち会って、一貫した形で決定に参加してきた人物というのは、昭和天皇以外にいません。

たとえば、1931年9月の中国東北部への侵略(「満州事変」)を、出先の関東軍が引き起こしたのにたいし、特別の「勅語」で、侵略を「自衛」の行動として正当化したうえで、「急速に相手の大軍を破って勝利したのは大変立派だ。今後さらにがんばって、朕の信頼に応えよ」と、ほめたたえたのが昭和天皇でした。真珠湾攻撃のときの首相は、A級戦犯として死刑になった東条英機でしたが、連合艦隊がハワイにひそかに出発した段階でも、東条首相には、そのことが知らされず、閣僚たちが知るのは攻撃が終わってでした。

昭和天皇の評価は、全権をにぎって侵略戦争を開始・拡大していったという歴史的事実を踏まえる必要があります。

 

以上