愛知民報

【16.09.25】名古屋空港の平和発展を 空自と滑走路共用 軍事利用拡大、基地強化に住民抵抗

 
 安倍政権が集団的自衛権行使=日米共同戦争態勢づくりを進めるもと、海外の紛争地へ自衛隊の兵員や物資を送る空輸部隊が駐屯する航空自衛隊小牧基地(小牧市)の軍事的役割が増大しています。小牧基地の所属機が使用する愛知県営名古屋空港は?軍用飛行場?の性格が強まっています。25日には同基地に近い小牧市市之久田公園で、「愛知を戦争拠点にさせるな」と訴え、戦争法廃止を求める小牧平和集会がおこなわれます。

軍用飛行場化

 2005年、常滑市沖に中部国際空港が完成し、名古屋空港に入っていた国際線と主な国内線が新空港に移転しました。名古屋空港の所有・管理は運輸省から愛知県に移りました。
 県営名古屋空港は「小型機専用飛行場」に位置づけられましたが、それは民間航空の分野。同空港の滑走路を共用する空自小牧基地との関係では、同基地に所属する戦地空輸のC130H輸送機や敵地侵攻の戦闘機に給油するKC767空中給油・輸送機が離着陸する?軍用飛行場?になっています。
 騒音公害や部品落下などの軍用機事故が増えています。今年5月の伊勢志摩サミットでは、米政府要人輸送用の米軍垂直離着陸機オスプレイが県営名古屋空港に飛来。住民は騒音のひどさに驚きました。

航空兵器生産

 三菱重工の航空兵器製造工場の存在も、県営名古屋空港の軍事色を強めています。
 空港に隣接する小牧南工場は空自機の組み立てと修理・点検をおこなっています。同工場では、空自の次期主力戦闘機F35を組み立てられます。さらに、アジア太平洋地域の米軍とその同盟軍のF35の整備工場に予定されています。
 07年、小牧南工場で製造され、定期点検中の航空自衛隊F2支援戦闘機が県営名古屋空港の滑走路上で墜落炎上する事故が起きました。わずか500?先は住宅地。空港周辺の住民に不安と怒りが高まりました。

基地拡張反対

 県営名古屋空港はかつては旧日本帝国陸軍の軍用飛行場でした。
 終戦後、滑走路と基地施設が米軍に接収されました。米軍は日本を「反共の防波堤」とする戦略から小牧飛行場の滑走路拡張を計画。これにたいし、1955年から58年にかけ、農民らが土地取り上げや軍用機事故、騒音などに反対する運動に立ち上がりました。このほど、小牧基地拡張反対闘争の記録集が発刊されました(写真)。
 「泣く子も黙る」といわれた米軍支配下、農民が「基地拡張反対」のむしろ旗をなびかせ、名古屋の繁華街をデモ行進しました。

小牧平和集会

 基地滑走路の拡張は強行されました。やがて米軍の小牧飛行場は、施設部分は航空自衛隊小牧基地に、着陸帯部分は運輸省に移管されました。
 2005年の中部国際空港開港後、県営になった名古屋空港は、航空自衛隊の使用の比率が高まります。
 空自小牧基地にKC767空中給油機が配備されるなど、海外侵略の機能が強化されています。
 一方、基地強化に反対し、平和な名古屋空港の発展を求める住民と県民の共同の運動も続いています。
 今月25日、かつて小牧基地拡張反対闘争が起こった小牧市市之久田公園で平和集会がおこなわれます。

名古屋空港のあゆみ

1944年2月 旧日本陸軍の飛行場として運用(滑走路長1500メートル)
1945年  日本の敗戦により米軍が接収。米軍が飛行場拡張を計画
1958年  航空自衛隊小牧基地開庁
1958年9月 米軍より管理権返還
1960年4月 国が設置する「名古屋空港
1999年4月 国際線ターミナルビル完成
2004年1月 空自小牧基地C130輸送機、クウェートに出発
2005年2月 中部国際空港開港に伴い設置管理を国土交通省から愛知県に移管
2006年7月 クウェート派遣中の小牧基地C130Hが戦闘地域のイラク・バグダッドに武装兵員を輸送
2007年10月 空自F2戦闘機が離陸に失敗。滑走路に墜落炎上
2008年4月 名古屋高裁がイラクでの空自機の活動を「他国の武力行使と一体」で、憲法9条に違反するとする判決
2008年2月 空自小牧基地KC767空中給油輸送機配備
2011年9月 民間側にあった管制塔を空自側に移転
2015年3月 空自小牧基地航空祭で曲技飛行隊ブルーインパルスが展示飛行を強行
2015年12月 名古屋空港隣の三菱重工小牧南工場でステルス戦闘機F35の生産開始