愛知民報

【10.0103】文芸展望 日本民主主義文学会名古屋支部 かなれ佳織さん 初心、そして継続

 明けましておめでとうございます。

 年始めに一年の目標をたてられる方は多いと思いますが、民主文学会名古屋支部でも、一月の例会で抱負を出し合います。

 そんなとき、周囲からひとり一人へ熱い励ましの言葉が飛びかいます。この雰囲気は、一カ月に一度それぞれの作品を批評し合い学び合っている者同士の緊密さがあればこそと思いますが、それに加え支部を元気にさせているのが、新しい顔ぶれの存在です。

 新鮮な風が年三回発行の「名古屋民主文学」の内容を多様化させているようで、これは手にしていただける雑誌を目指す名古屋支部にとって、心強いことだと思っています。

 昨年の『しんぶん赤旗』連載小説「われら青春の時」、それに続く“同出版記念の集い”(昨年十月開催)は、佐藤貴美子の作家魂が益々健在であることを示し、「小説とはなにか」を問いかけるものでした。「感動は読む人間に勇気を与えます」(作家・田島一(はじめ)氏)という言葉を、わたし自身支部のメンバーとともにかみしめ、文章を書き始めたころの初心を思い返す機会にしたいと思います。

 四年ほど前、周辺でおこっていることを知ってもらいたいと書き始めたわたしですが、そのころは小説作法も何も分かっていませんでした。

 が、知識や経験を総動員したその初めての作品が『民主文学』の或る批評欄にわずかながら取り上げられました。目が点になり、穴があくほどそのページを見ていたものです。人の一生にはびっくりすることが起こるもので、つぎに書いた「回転釜はラルゴで」という作品では、二年ごとに募集される「第七回民主文学新人賞」という賞をいただいたのでした。続けて「換羽(とや)」、そして昨年は、『しんぶん赤旗』に「望み」という掌編小説を書かせていただきました。

 苦悩しつつも志を曲げずに生きようとする人の姿に惹かれそれを書きたいと思った。それがわたしの初心ですが、それだけでは続かないというのも事実でした。一人前の作品に成長させたければ人の目を介して自作を客観的に見なければならないと教えられた数年間です。

 親ばかだけでは子どもがちゃんと育たないのと一緒だなあと思います。同時に、自身の気持ちや動機を拠り所とし、初めの一歩を踏み出すこと、それを継続することは、チャレンジすることが何であれ、大切なのだと思い続けてきた数年間でもあります。

 民主文学会は、今を生きる新しい書き手を育てようとしています。この四年間それを実感してきました。十人の人がいれば十の物語があります。それを書こうとする人を会に迎え入れ、充実した今年一年になるようメンバーと共に努力していきたいと思っています。
 どうぞ今年もよろしくお願いいたします。