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戦争の傷痕今なお 名古屋市で戦跡めぐり

霊光院で延命地蔵尊の説明をする大島さん(中央)=15日、名古屋市北区

 

名古屋市内には、戦後73年、今なお戦争の悲惨さを伝えるものが多数残っています。戦前、軍需工場が多数あり、米軍の空襲は63回におよび、50万人以上が被害を受けました。

 

 戦跡ウオッチツアーなごやの会世話人の大島良満さん(83)の呼びかけで1990年から毎年8月15日に行われている戦跡めぐりは今回で29回目。今年は小学3年生の男子児童(9)から83歳の男性まで20人が参加し、戦争中に拠出した金属製の鐘の代わりにつり下げられた石製の鐘がある円明寺(東区)など6カ所を見て回りました。

 

 最初に訪れた北区のJR大曽根駅南には、殉職した旧国鉄職員らを追悼する碑がありました。大島さんは「兵隊として戦地に行った男の代わりに女性が多く働いていた。殉職した30人の中には女性も多かった」と説明。次に訪れた霊光院(北区)には上飯田地域の空襲で3000人以上が死傷したことを弔う延命地蔵尊がありました。大島さんは「戦死・殉職した軍人の碑や地蔵尊は多くあるが、一般市民を対象にした地蔵尊は珍しい」と語りました。

 地蔵尊に手を合わせていた中学校1年生の男子生徒は「祖父に誘われて参加しました。幼い子どもが犠牲になる戦争はいけないと思います」。参加者で最年長の西岡久雄さん(83)は「大島さんと同じく戦争を体験した者は『平和の尊さ』を語り、『平和』守る責任がある。住んでいる春日井市に航空自衛隊小牧基地がある。自衛隊機の部品落下事故が相次ぎ、騒音に住民は苦しめられている。基地強化反対の取り組みを強めたい」と話しました。

 

 大島さんは「ツアーを始めた頃は、年配の戦争体験者の参加が多く、戦跡を懐かしそうに見ていた。今回は小中学生が3人参加しているように、最近は若い人の参加が増えている。改憲の動きが強まるなかだからこそ、地道な平和を守る運動が大切。健康に気をつけて引き続きツアーを続けていきたい」と語りました。

(8月19日しんぶん赤旗)