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共同の歩み 衆院議員・比例東海ブロック島津幸広さん(中)

 
 島津幸広衆院議員(60)の政治活動の原点には、母の存在があります。
 1956年、浜松市に生まれた島津さん。母は女手一つで島津さんと妹を育てあげました。「朝早くから夜遅くまで一生懸命働くんです。私たちにはおなかいっぱい食べさせてくれてね。相当苦労してやりくりしていたんだと思います」
 クリスマスになると、「プレゼントをもらった」と喜ぶ友だちをみて悲しい思いをしたこともあります。

■ 母への思いが
 「母はあんなにがんばって働いているのに、どうして?」。幼い頃に抱いた素朴な思いは、「母のような人が報われる社会、誰もが人間らしく生きられる世の中に」と高校3年生のときに日本共産党に入党した思いへとつながっていきます。
 工業高校を卒業して建設会社に勤めたあと、共産党を相談相手に活動する民青同盟の職員になった島津さん。最初は反対した母も、38歳で初めて選挙に立候補したときは、選挙事務所にやってきて「息子をお願いします」と何度も頭を下げました。
 暮らしや福祉の政策を聞き、「あんたが言うようになればいいね」と話していた母は、13年前に病気で亡くなりました。
 母に当選した姿を見せてあげたかった。そんな思いが今も心のなかに残っています。

■ 低い最賃制度
 母が教えてくれた「誰もが人間らしく生きられる社会へ」との思いは、島津さんの政治活動のなかに貫かれています。
 1男1女の父親である島津さん。選挙戦中は東京で一人暮らしの娘のことを街頭で訴えてきました。「やっと正社員になったと思ったらいきなり副店長。低賃金で重いノルマを課せられ朝早くから夜遅くまで働いています。若者が希望を持って働ける日本を一緒につくりましょう」
 2016年2月の衆院予算委員会では、最低賃金の大幅引き上げと全国一律の最賃制度の確立を政府に迫りました。
 地方の自治体の声をつきつけ、低すぎる最賃と地域格差が地方の人口流出を広げている実態を追及。石破茂・地方創生担当相(当時)は「地方で給与をあげ、安定した就業の充実をはかることはきわめて重要」と応じました。
 民間への売却が進められている雇用促進住宅の問題では、住まいと暮らしを守れと政府に迫りました。
 住宅を訪ね入居者らと懇談を重ねてきた島津さん。3月の衆院内閣委員会の質問では、「これ以上の家賃は払えない」「出て行けと言うのは死ねということ」との入居者の声をとりあげ、国が必要な対応をすべきと要求しました。厚労省側も「できる限り住民が困らない方策を国としても鋭意考えている」と答弁しました。
 12月には住民とともに政府交渉もおこないました。四日市市から参加した雇用促進住宅の存続を求める会の太田輝久さん(66)は、「住宅の入居者は高齢者が多く、住み続けられるのか本当に不安です。島津さんは、私たちの住まいにも来て一生懸命話を聞いてくれた。住民の声を国にあげてくれ、議員として一番安心して任せられる人」と信頼を寄せています。(つづく)

(しんぶん赤旗)