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追悼碑・医師のの釣鐘...街角に残る傷痕めぐる

空襲で50万人に被害

 
 戦後70年、今なお名古屋市内には戦争の悲惨さを伝えるものが多数残っています。1990年から毎年8月15日に行われている戦績めぐり。今年は28人が参加しました。

 名古屋には戦前、軍需工場が多数あり、米軍の空襲は63回におよび、50万人以上が被害を受けました。被災者の人口比では、広島、長崎に次ぎました。

 戦跡ウオッチツアーなごやの会世話人の大島良満さん(80)の案内で、空襲などの傷痕が生々しく残っている場所をまわります。

 北区のJR大曽根駅南には、殉職した旧国鉄職員らを追悼する碑がありました。大島さんから30人の中には女性も多かったと聞き、参加者らは碑の裏に彫られた犠牲者の名前に見入っていました。

 東区の円明寺では石製の釣鐘を見ました。41年の金属類回収令によって強制的に提出させられた釣鐘の代用品としてわざわざ造られたものです。戦後、「戦争の痛みを忘れてはならない」と先代の住職が石の鐘をつるし続けたと思いが鐘の隣に書かれています。それを読んだ参加者は石の鐘を突き、その鈍い音に驚いていました。

 夜の空襲で見えにくくするため、市役所が黒く塗られ、周辺には松ヤニをとるために削られた松並木がありました。戦争犠牲者や戦争に使われた動物を供養する碑があり、参加者らは街角にある碑を眺めていました。

 大島さんは最後に「街角に残っているものを大事にするのも平和活動。二度と戦争する国にしてはならない。平和を守る努力をしていく」と述べました。

 参加者は「市内にこんなところがあるなんて知らなかった」「街角に戦跡があっても気づかない。案内の看板がほしい」などの感想を話しました。

(8月19日)